友人の親が後見人になった8年間の話

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介護の体験談
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認知症になるとお金の管理が難しくなってきます。この記事は友人のお母さんが成年後見人として叔母さんの金銭管理をしていた時の話です。成年後見について参考になれば幸いです。

叔母さんの話

友人から聞いた話なのだけれど、10年ほど前、友人の子どもたちがまだ小学生だったころのこと。
実家に帰省すると、近くに住む伯母さんがよく遊びに来てくれた。伯母は友人のお母さんのお姉さん。明るくて気さくで、特に友人の長男をかわいがってくれて、帰省のたびに「ごはん行こうね」と誘ってくれるのが恒例だったという。
長男がひとりで泊まりに行くと、ふたりで外食に連れて行ってくれるのが楽しみで、家族にとっても温かい思い出になっていたそうだ。

そんな時間がずっと続くと思っていたのに、あるときから少しずつ、伯母さんの様子に変化が現れ始めた。

伯母さんに起こった小さな変化

最初は本当に小さな違和感だったという。
長男との待ち合わせに来なかったり、遅れて現れたり。
「珍しいね」と家族で話す程度で、そのときは深刻には受け止めていなかった。

けれど、その“うっかり”は少しずつ増えていった。
作り置きのおかずをタッパーごと全部食べてしまったり、ランチを食べた直後なのにまたおかずを食べてしまったり。
家系に認知症の人が多いこともあり、友人の親は心のどこかで不安を感じていたらしい。

それからしばらく、友人の親は週に数回、伯母さんの家におかずを届けるようになった。
「ちゃんと食べてるか心配でね」と言いながら、生活の合間を縫って通っていたという。
その姿を見て、友人は胸の奥がざわついたと話していた。

ひとりで銀行に行くことが難しくなってきた

伯母さんはキャッシュカードを作っておらず、お金の出し入れはすべて銀行窓口。
印鑑とサインが必要だったが、だんだんとひとりで行くことが難しくなり、親が付き添うようになった。
時には支えるようにして窓口まで連れて行ったこともあったそうだ。

「もうね、名前を書くのも大変で…」
そうこぼす親の姿に、友人は老老介護の現実を突きつけられた気がしたという。
このままでは親まで倒れてしまう。
そう思って、友人は以前勉強会で聞いた“成年後見人制度”のことを話した。

実の息子はあてにならない

伯母さんには息子が二人いたが、状況は複雑だった。
長男は当時、消息不明。
次男は遠方に住んでおり、身体の事情もあって母親の介護を担うのは難しかった。
結局、友人の親が後見人になるしかなかった。

迷いながらも、「私がやらないとね」と親は静かに覚悟を決めたという。
その言葉の重さを、友人は今でも覚えているそうだ。

成年後見人に任命されて

後見人に任命された当初は、弁護士との2人体制だった。
伯母さんの家の売却など大きな手続きは弁護士が中心となって進めたが、
日々の支払い、買い物、施設とのやり取りは親が担った。

伯母さんは介護施設に入所し、親は週に何度も足を運んだ。
「今日は落ち着いてたよ」「ちょっと機嫌が悪かったね」
そんな報告を聞きながら、友人は親がどれほど気を張っていたかを思うと胸が痛くなったという。

後見人としての生活は、気力も体力も必要だった。
それでも親は8年ほど、その役目を果たし続けた。

その間に、伯母さんの長男の所在は一応わかった。
けれど、連絡してもつながらず、見舞いに来ることもなかった。
親は「まあ、いろいろあるんでしょう」と言っていたが、その言葉の裏にある寂しさは友人にも伝わっていた。

そして、伯母さんが亡くなったとき。
それまで何の反応もなかった長男が、葬儀にはしっかり現れたという。
その姿を見たとき、友人はどうしても心の中にモヤモヤが残ったと話していた。

友人の母親はその頃すでに認知症が進み、後見人の役目を降りていた。
だからこそ、あの8年間の親の頑張りを知っている友人には、
「なぜ今だけ…」という思いがどうしても消えなかったそうだ。

家族の介護は誰がやる?

家族の介護は、誰がやるかではなく、
“気づいた人が動くしかない”という現実がある。
親はその役目を静かに引き受け、最後までやり遂げた。

友人は今でも、あのときの親の姿を思い出すと胸が熱くなるという。
そして同時に、葬儀の日に感じたモヤモヤも、まだどこかに残っている。
でも、それも含めて、ひとつの家族が歩んだ物語なのだと、今はそう思っているそうだ。

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