家族のあいだに、小さなすれちがいが生まれることがある。 親の介護をめぐる兄弟間のトラブルなんて、ドラマの中の話だと思っていた。 けれど、現実にも普通に起きるのだと知って、少し驚いている。
義兄と義妹のあいだにも、静かな溝のようなものが見えはじめた。
その輪の少し外側に、私は嫁として立っている。 当事者ではないけれど、揺れは確かに胸に届く。
兄弟の認識のずれ
義母が入居したサ高住。
最初に利用料を聞いたとき、胸の奥がざわついた。
「ちょっと高いんじゃないかな」 。
契約のその場に立ち会いながら、小さな違和感があったのは事実。
でも、決めたのは義兄だ。
近くに住み、日々の細かな対応をしているのも義兄。
私は口を挟む立場ではない。
そう思うことで、自分の気持ちにそっと蓋をした。
そこへ、義妹のまっすぐな言葉が飛び込んできた。
「今の施設、合ってないと思うよ。変えたほうがいいんじゃない?」
義妹は介護施設のナースだ。
現場を知っているからこそ、見えるものがある。
その言葉は、たしかに正しいのかもしれない。
でも、正しさはときに冷たく響く。
独身貴族だった義兄の生活は、義母の介護によって大きく変わった。
自由だった時間も、気ままな生活も、すべてが少しずつ形を変えていった。
その中で必死に選んだ施設だった。
私や義妹には家族がいて家族に合わせて自分の暮らしを変えてきた。
義兄にとっては今回が初めての経験だと思う。
そして”介護”という重い現実も背負っている。
自分の思うように進まないということにかなりメンタルがやられている気がする。
だからこそ、義妹の言葉は
「責められている」
「否定されている」
そんなふうに聞こえてしまったのだと思う。
義妹は悪気がない。
義兄も悪くない。
ただ、立っている場所が違うだけ。
同じ母を思っているのに、 その思いの形が違うだけで、 兄弟の間に静かな溝が生まれていく。
その溝が、ゆっくりと家族全体に広がっていく気配を、 私は少し離れた場所から感じていた。
嫁としての“縁の位置”
義妹はストレートに義兄への不満を私に言う。その気持ちもわかる。状況が刻々と変わる中で時間勝負なのもわかる。でも義母と直接かかわっているわけではない。たとえ正論でも外野の意見は必死で闘っている義兄の心をえぐるのだ。
兄弟の空気が少しずつ険悪になっていくのを、私は少し離れた場所から見ていた。 輪の中心にいるわけではないけれど、輪の揺れは確かに私の胸にも届く。
私は嫁だ。
当事者のようでいて、当事者ではない。
夫が亡くなってからは、なおさらその感覚が強くなった。
家族の話し合いの輪に入るとき、 どこかで「あなたは外側の人だから」という空気が流れる瞬間がある。 誰も言葉にはしないけれど、 その“見えない線”を、私はいつも指先でそっとなぞっている。
義兄の愚痴を聞くことはできる。
義妹の気持ちに寄り添うこともできる。
でも、どちらの味方にもなりきれない。
なってはいけない気もする。
私はただ、 家族の間に生まれた小さなさざ波が、大きな波にならないように、 そっと間に手を添えるだけの存在でいたい。
義兄が煮詰まってしまわないように。 義妹の正論が、誰かを傷つける刃にならないように。 そして、義母が安心して過ごせる場所が見つかるように。
輪の中心には入れないけれど、 縁に立つ人間にしか見えない景色がある。 嫁として緩衝材に慣れたらいいのかな、って最近は思っている。
そんな“縁の位置”が、いまの私にはちょうどいいのかもしれない。


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