先月あたりから、お姑さんの体調について気になる知らせが続いている。
最初は、月に一度診てもらっている主治医からの「そろそろ施設入居を考えてはどうか」という提案だった。
一方でケアマネさんは「ヘルパーを入れれば在宅で対応できる」との意見。
家族の中で見解が分かれ、どうしたものかと話し合っていた矢先、思いもよらない連絡が入った。
お姑さんが階段から転落し、頭から血を流して寝込んでいたという。
病院で診てもらうと、肋骨の骨折。
その後の検査で胃潰瘍も見つかったが、薬をひとりで飲めず、治療も進まない。
「独り暮らしはもう難しいだろう」
そんな結論に至るまで、時間はかからなかった。
義理兄の背中に、言葉にならない重さを感じる
お姑さんの家の近くに住んでいる義理兄が、今回の対応をほとんど引き受けてくれている。
病院への付き添い、ケアマネさんとの連絡、施設探しの段取り。
電話越しに聞こえる義理兄の声はいつも落ち着いているけれど、その奥にある疲れや不安は、言葉にしなくても伝わってくる。
「大丈夫、大丈夫」と笑って言うけれど、
その“笑い”が、どこか張りつめている。
本当は不安だろうし、心細いだろうし、
「なんで自分ばっかり」と思う瞬間だってあるはずだ。
それでも、誰にも弱音を吐かず、
ただ淡々と、必要なことをこなしていく義理兄の姿を思うと、胸がきゅっとなる。
私は遠くから状況を聞いているだけで、
「申し訳ない」という気持ちがじわじわと広がっていく。
親世代の“プライド”と“抵抗感”
お姑さんは、昔から気丈な人だ。
「人の世話にはならん」「まだ自分でできる」
そんな言葉を何度も聞いてきた。
今回の転落のあとも、
「ちょっとつまずいただけ」「大げさにせんでよか」
と、痛みを隠すように笑っていたらしい。
その姿を想像すると、胸が痛む。
年齢を重ねるほど、
“できなくなったこと”よりも
“できると思っていたことができなくなる瞬間”のほうが、
ずっとつらいのかもしれない。
家を離れることは、
ただの引っ越しではなく、
「自分の人生の主導権を手放す」ように感じるのだろう。
だからこそ、施設入居の話が出ると、
お姑さんはきっとごねる。
その気持ちも、痛いほどわかる。
もし、これが自分の両親だったら
今回のことで、ふと考えてしまった。
もし、これが自分の両親だったらどうするだろう。
どんなふうに受け止めるだろう。
どんな気持ちになるだろう。
両親はまだ元気で、毎日を楽しんで暮らしている。
でも、年齢を重ねているのは確かで、
「その日」はいつか必ずやってくる。
親のプライドと安全の間で揺れる自分を、
どう支えるのだろう。
義理兄のように冷静に動けるだろうか。
親の“抵抗”を前に、どんな言葉を選ぶのだろう。
考えるほど、胸の奥がざわつく。
それでも、願うのはただひとつ
高齢者の暮らしは、
ほんの小さなつまずきから大きく崩れてしまう。
今回、それを痛感した。
だからこそ、
私の両親にも、お姑さんにも、
その日が来るまではどうか穏やかに、
好きなことを楽しみながら暮らしてほしい。
そんな願いを、静かに胸に抱いている。


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